公的資金のスタートアップ流出——10兆円のうち、いくらが起業家の手元に届くのか
日本政府の「スタートアップ育成5か年計画」は、官民合わせて5年間で10兆円規模の資金供給を目指す野心的な産業政策です。しかし、公表された予算額のうち、実際にスタートアップ企業の口座に到達し、R&Dや事業成長の原資として活用されている金額は果たして幾らなのか——この問いに答える調査報告をベースに、公的資金の流れを整理します。
資金の「4層構造」
公的資金の流れを正確に捉えるため、資金フローを4つのレイヤーに分解して考えます。
- 第一層:予算配分 — 財務省から各省庁へ割り当てられるマクロ予算。ニュースで報じられる「事業規模」に相当する。
- 第二層:執行・運営 — 省庁から基金設置法人や事務局運営を受託する民間企業(コンサル、広告代理店等)へ流れる資金。ここで「管理費」「事務委託費」が控除される。
- 第三層:交付・受領 — 審査を経て、採択されたスタートアップに名目上交付決定される金額。
- 第四層:純資金注入 — 交付額から、企業の持ち出し負担(対象外経費、間接経費の不足分、税務コスト)を差し引いた、真に事業加速に寄与する「実弾」の金額。
本稿では、第二層における事務局コストの肥大化と、第四層における制度的コストによる資金価値の毀損に焦点を当てます。
事務局運営という巨大市場
政府機関は直接的な個社支援や細かな審査実務を行うリソースを持たないため、これらの業務を民間企業に外部委託します。この「第二層」における資金吸収の実態は、公開入札情報から読み取れます。
経済産業省の「J-StarX」(起業家海外派遣プログラム)では、事務局運営業務にデロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリーが約9.5億円で落札した事例があります。これは一般的なシード・アーリー期スタートアップの調達額(数千万円〜数億円)を遥かに凌駕する規模です。
重要なのは、この9.5億円はスタートアップ企業のバランスシートには一切計上されないという事実です。参加企業は渡航費や参加費の免除という形で恩恵を受けるが、自社のキャッシュフローが改善するわけではない。人材育成系事業においては、予算の大部分(推計で80%〜90%)が「事務局」および「再委託先のサービス業者」の売上として還流しており、スタートアップ・エコシステムへの直接的な資金注入効果は極めて限定的です。
「補助率」と自己資金調達のパラドックス
NEDOの「ディープテック・スタートアップ支援基金」では、最大数十億円規模の助成が行われますが、全額が支給されるわけではありません。
- 補助率:通常、補助対象経費の2/3または1/2
- マッチング要件:残りは企業が自己資金で負担。公募要領には「VC等からの出資または金融機関からの融資で得ること」が要件として明記されている場合がある
つまり、公的資金をもらうためには、まず民間から資金を集めなければならないという重い制約があります。資金調達難にある企業を救済するものではなく、既に資金調達力のある企業をさらにブーストするための仕組みと言えます。
米国SBIRとの決定的な違い:「利益」の不在
米国のSBIR制度では、助成対象コストの最大7%を「利益(Fee)」として上乗せ支給できます。この7%は使途制限がない(Unrestricted Funds)。企業はこの資金を使って、特許弁護士費用、マーケティング費用、次期製品の構想など、助成対象外の活動を行うことができます。
対照的に、日本の多くの補助金制度では**「利益」の計上は原則として認められない**。間接経費についても、「直接人件費の10%〜30%」といった上限が設定されるか、使途が極めて厳格に制限されます。
スタートアップの実質的な販管費率(家賃、バックオフィス人件費、ソフトウェア代等)が30%〜50%であるのに対し、助成金でカバーされる間接経費が10%に留まる場合、差額の20%〜40%は企業の自己資金から流出します。10億円の助成事業を行うことで、企業は数億円のキャッシュアウト(持ち出し)を強いられる可能性があります。
日本のスタートアップは、公的資金を受け取ることで**「事業規模は拡大するが、キャッシュフローは悪化し、倒産リスクが高まる」**というパラドックスに直面しているのです。
100億円のシミュレーション
仮に「100億円のスタートアップ支援予算」が配分された場合、おおよそ次のように減衰していきます。
- 事務局・管理費:10〜15億円がBPO事業者・代理店へ
- 採択・交付決定:85億円前後がスタートアップ向け枠として公募
- 申請代行手数料:成功報酬10〜20%がコンサルタントへ(企業の手元資金から)
- 企業の持ち出し:間接経費の不足分、対象外経費、消費税負担などで10〜30億円
結果として、スタートアップにとっての「純資産の増加(Net Gain)」はほぼゼロ。受け取った資金は全額、紐付きの経費として右から左へ流れていきます。日本の公的資金は「資金調達」というよりも、**「特定のR&D活動に対する割引クーポン」**としての性質が強いと言えます。
結論:「量」から「質」への転換
資金は確かにスタートアップ関連施策に大量に投入されています。しかし、その流れには以下の特徴があります。
- サービス産業への還流:人材育成系事業では、予算の大部分が運営事務局の売上となっている
- キャッシュフローへの貢献度:補助金系事業では、間接経費のカバー率の低さと利益計上の不可により、スタートアップの資金繰りを改善する効果は極めて限定的
10兆円という規模の目標を達成するためには、単に予算額を積み上げるだけでなく、資金の「質(Quality of Capital)」を改善する必要があります。
- 米国型「Fee」の導入:R&D助成において、使途自由な「利益」の計上(7%〜10%)を認める
- 事務局機能の適正化と透明化:数億円〜数十億円規模に達する事務局委託費の対費用効果を厳格に検証
- SBIR Mills対策:申請回数や累積受給額にキャップを設ける、商用化への移行実績を厳格に審査
日本のスタートアップ政策は、予算規模においては欧米に並びつつあります。しかし、その資金が最終的な受益者である起業家の手元に「実弾」としてどれだけ残るかというラストワンマイルの設計において、依然として大きな改善の余地を残しています。